どーもこんにちは。30歳でプー太郎のショウ子(@showco_pu)と申します。
「30歳でプー太郎」というブログ名について。しばらくはこのブログ名で行くと思いますが、時期が来たら変えようと思っています。なぜなら、私も歳をとっていくから笑。
- 30歳の時に退職を決意し、30歳も残り1ヶ月という時に退職しました。はい、実は今31歳です。だから、「30歳のプー太郎」という意味ではなく、「30歳でプー太郎になった」という意味です。…どーでもいい話ですね。
今日は何を言いたいかというと、「そんな歳になってからそんなことやり始めて大丈夫?(大丈夫じゃないよね)」とか「そんな歳でそんなことやってたら、そりゃ結婚できないよね」という、妙齢の女性に対して向けられる視線についてです。
大企業勤めや長期勤続が幸せなのか?
この年齢になると、親戚と顔を会わせる度に「結婚は?」と、漏れなく聞かれます。ただ悪気なく近況を聞いているだけなのはわかります。学生時代の友人と久しぶりに会えば、「誰が結婚していて誰が結婚していないか」という話にはなりますし。
でもね、「仕事は辞めずに頑張ってるのねー!」という親戚の言葉には、毎回違和感を感じていました。そりゃ、新卒で就職した会社を辞めずに続けていましたけど、同じ会社でずっと働き続けることが偉いのか?と、ずっとモヤモヤしていました。
勤続年数が長ければ、会社の中では「古株」にはなっていきます。ポジションや給料も年数と共に上がることだってあるでしょう。でも、キャリアアップの転職だってあるでしょうし、独立して所得が上がることもあるでしょう。
ただ単に、辞めずに長く勤めているからスゴイという褒められ方に、反発心を抱えていました。
それと似ているのが、会社の名前で判断すること。
名前の通った大企業に新卒入社するのは、狭き門だということはわかります。就職活動という異様な世界の中で努力ができる真面目さと、人前でも臆さず自己表現のできるコミュ力、そして会社が求めている社員像を演じられる技量が備わった、いわゆる優秀な人たちが大企業の内定を手にします。私も就職活動という道を通ってきたので、その成果がいかに素晴らしいかということは理解しているつもりです。
ただ、大企業で働いているから幸せかどうかは、人によって違うと思うのです。
現に、私の周りには
「友人全員が羨ましがった大企業に就職した大学内のエースだったのに、憧れの会社像との差が激しく、失望して離職した人」
「ゴリゴリのスポーツマンだったのに、大企業の激務で突然倒れ、入院を余儀なくされた上、1年以上社会復帰ができなかった人」
「大企業の中でも出世が早く、社内で期待されているいるのに、会えば疲弊した顔で愚痴ばっかりの人」
など、優秀だと呼ばれれていた人たちの、幸せではない姿がありました。
もちろん、大企業の中でイキイキと働き、何もかもが順風満帆で幸せ!だという人がいることも否定はしません。しかし、大企業=幸せという定義は違うと思っています。
幸せの定義から外れた道を行こうとすると否定される
そういった、長期勤続や、大企業勤めという、世間の幸せの定義を手放そうとすると、周りから反対されます。
現に、会社を辞めたことを報告したことで「何で辞めちゃったの?」と、「辞めた」ではなく、「辞めてしまった」いう、間違った選択をしてしまったかのようなニュアンスを多く投げかけられました。長く勤めることが偉いの?名の通った会社だから幸せなの?
幸い、私の親は私の選択に反対はしませんでしたが、辞めた直後は「残念で仕方がない」というオーラが漂っていました。
…いや、1回ムカついたな。
退職日、帰宅した時に「おつかれさま」という一言くらいくれるかな〜と思っていたら、「残念だったね」と声をかけてきたのです。
はあ?
私が辞めたいと言って辞めたんだよ!辞めさせらたわけじゃないし、会社が辛くて辞めたわけでもないんだよ!やりたいことに向かっての前向きな退職なんだよ!なんでそれが「残念だったね」なんだよ!それは、あなたが「娘が会社を辞めちゃって残念」なんでしょ!わたしゃ残念でもなんでもないよ!むしろ「やったー!これから前に進めるー!」だわ!!
…取り乱しました。
いやね、私の場合は笑い話なんですが、世間の幸せの定義を手放そうとしている人の親や身の回りの人たちが、ガッチガチの幸せ信者の場合、手放す決断をなかなかできないんだろうな〜と思うわけですよ。
幸せの基準は本人にしかわからないからね。他人が決めつけた幸せを必死に守らなくていいんだよ、と思います。
アラサー独身女のチャレンジはイタイ?
私は、これから【自分で自分の仕事をつくる】。やってみたいことだけに挑戦してお金を稼ぐ。それをフリーランスと呼ぶのか、独立と呼ぶのか、起業と呼ぶのか、よくわかりません。肩書きはなんだっていいんです。
でもね、そのやりたいことがお金になるまで、世間から与えられる肩書きはニートなんです。無職だし、プー太郎なの。バイトをやり出そうものならば、フリーターになるんだろうな。
いいの。自分であえて「プー太郎」というブログ名つけてるくらいだし。ニートだろうが無職だろうがフリーターだろうが、何と呼ばれてもいい。間違いじゃないから。
でも「30歳独身女がニート?フリーター?ヤバイな」っていう、痛々しい視線は嫌なんだよー。だから、今はコンパにも行きたくないし、新しい人と出会いたくないし、親戚の家に行くのも嫌だ。
これは、結婚できない女というレッテルへの引け目なのか、そういう視線を向ける人たちに対してやりたいことを熱く語れない自信のなさなのか。自分の中に弱さがあることは間違いない。
でも、弱いからこそ、不安で自信がないなりにも、自ら幸せの定義を手放して不名誉な肩書きを貼られに行っているからこそ、そのチャレンジを応援してほしいと思うんだろうな。
現に、こんなことがあって腹が立ったことがある。
私の仲の良い友人が、30歳でワーホリに行きました。いわゆるギリホリっていうやつです。私はまだ退職を決断できていなかった頃なので、友人のその決断をスゴイなと思ったし、誇らしく感じました。
でも、共通の友人が「この歳でワーホリってw この先どうすんのかな」って私に言ったんです。ショックでした。その共通の友人は、普段から毒を吐くようなタイプではなく、優しい人でした。応援してくてれると思っていただけに、ワーホリの友人を蔑むような発言に、サーっと引いてしまったのを覚えています。30歳独身女のチャレンジをイタイと思っているんだと。
ワーホリに行く友人も、出発する時、私にこんなことを言っていました。「ショウ子は仕事頑張っててすごいな〜!私が帰国する頃には、どんどん前に進んで遠くに行ってそう…。私はこの歳でワーホリやし…。置いていかんといてな」
「置いていかないで」という言葉の裏には、結婚なのか、社会的成功なのか、幸せなのか、何が隠れていたのかは分かりません。でも、ワーホリに行ったら結婚できないのでしょうか?社会的成功から遠ざかるのでしょうか?幸せになれないのでしょうか?色々意見はあるでしょうが、本人が決めた決断の先で努力をすれば、いずれも手に入るものだと思っています。
おそらく、友人の「置いていかないで」は、世の中の「30歳独身女のワーホリ」に対する冷ややかな視線と、自分の決断に対する不安があっての発言だったのだと思います。
そこで思うのが、若者が夢を追いかける姿は賞賛されるのに、30歳になってから夢を追いかけると蔑まれるのは何故なのか、ということ。
18歳の時に「自分で自分の仕事をつくる!(起業する!)」とか「ワーホリに行く!」と言う友人がいたら、周りの友人は「あの子の決断、スゴイなー」とか「行動力あるなー」と思ったと思うんです。
それが、30歳になって、それを言い出すと、賞賛が蔑みに変わるってすごくないですか?
確かに、18歳の時はまだ人生経験が浅いので、起業している人もワーホリに行く人も、周りにほとんどいません。その中で行動に移せる人は物凄いです。
でも、30歳になったら、起業経験、ワーホリ経験のある人が多いのかと言えば、18歳の時よりは増えたにせよ、まだまだ少数派です。みんながやっていないことだし、決断も行動力もいることなのに、「いい歳して、バカな事言ってる」と笑われるんですよね。18歳の頃は「バカな事」じゃなかったのに、今やると「バカな事」になる。
やりたいことを我慢してする結婚ならしたくない
会社を辞めること。夢を追いかけること。これに対する批判の他に、妙齢の女性にはもう一つ冷ややかな目線があります。そう、結婚できない女というレッテル。
「結婚できないんじゃなく、結婚しないだけだ!」なんてことは言いません。実際に、求婚攻めにあっている状況ではないので、私が今、結婚したい!と思っても結婚できないというのは事実です。
愛するパートナーは欲しいし、愛する人に愛されたいし、子供も産みたい。つまりは、結婚もしたいし子供も授かりたい。でも、優先順位が違うんです。
自分の人生の中で、何を達成できなくて後悔するだろうと考えた時に、「自分が人生をかけて熱中・追及したいものを見つけて、それをお金にして生活していく」ということが、子供を持つということよりも、結婚をするということよりも、優先順位が高かったんです。
逆に言えば、その優先順位をつけられたから、会社を辞められたということがあるかもしれません。
もともと、結婚願望は薄い方で、新卒の頃から「自分のしたいことをしてから結婚したいから、35歳くらいがいい」とか言っていました。でもね、気づいたんです。35歳はもうすぐそこだし、「したいことをしてから結婚」って言ってたら、いつまでもしたいことは続くから、一生結婚できないって。
会社を辞める決断をするまでは「この歳からやりたいことを追いかけ始めたら、さすがに結婚は遠のくだろうな〜」と思っていて、いずれは結婚したい、でもやりたいこともやりたい、どちらかを選ばなければいけないような感覚さえありました。
でも、結婚か夢か、どちらか一つしか選べない人生って何?
夢を応援してくれない人と結婚するってこと?
そう、私も知らず知らず、「結婚=家庭に入る」「結婚=自由が奪われる」「結婚=お金に制限ができる」という、古臭い結婚像を結婚だと思い込んでいたのです。
そんな結婚、いずれ破綻するわ!
破綻するような結婚を選択して、結婚も夢も何も手に残らないという結末を迎えるくらいなら、やりたいことをやって、その価値観を共有してくれる人が見つかればラッキーくらいの方が良いじゃん!
【結婚してから夢を追いかける】
→夢を応援してくれる相手だった 結婚◯・夢◯
→夢を応援してくれない相手だった 結婚◯・夢×【夢を追いかけてから結婚する】
→そんな私と結婚したいという人が現れた 結婚◯・夢◯
→そんな私と結婚してくれる人は現れなかった 結婚×・夢◯
結婚できなかった人生と、やりたいことをやれなかった人生、悔やむのは間違いなく後者。それならば、夢(という項目)が必ず◯になる方を選ぼうと思ったのです。
世間から見たら、結婚できない女かもしれない。結婚もしてない独身女がバカな事をやっているのかもしれない。でも、そっちの方が私は幸せになれると、確信した上での決断なのです。
誰にも蔑まれる理由なんてない!!
若者にもアラサーにも、男にも女にも、人それぞれの幸せがある
大企業に勤めること、長く同じ会社で働くこと、結婚すること、ワーホリに行くこと、フリーランスになること。本人が、その生き方が自分にとっての幸せなんだと思っている以上、誰にも批判する権利なんてないのです。
世間の幸せの定義から外れる時、人がやっていないことにチャレンジする時、何かを手に入れるために何かを諦める時。周りの友人、親、世間から反対されることもあると思います。でも、どちらが正解なんてことはなく、正解は自分が死ぬ時に自分が決めるのです。
老人になった自分が、「お前の人生楽しかったわ!」と言える道を、今から作っていこうと思います。
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